司馬遼太郎「覇王の家」その4
第4回目のテーマは、 「後世の基盤をどう築いたか」 でした。この回のNHKの説明は、 こちら (←外部リンク)から。 まずは、「小牧・長久手の戦い」の後、秀吉と織田信長の次男・信雄は戦をし、その後、講和している。そのため、秀吉と戦う大義名分がなくなった。そこで、家康は家臣を集め、秀吉と講和をするのか、家臣からの意見を求めた。 通常、大名であれば、自身の考えで決めるところ、家康は聞き上手で、家臣の意見を聞くということが家康らしい(三河かたぎ)。家臣の意見を聞くことで、家臣も言ったからにはやらないといけないと思わせることを思っていたのでは?と言うこと(これが後述するように、日本らしいと)。 結局のところ、秀吉と和睦を結ぶが、なかなか結ばなかったことから、周りからは特別視されるようになった。 「三河かたぎ=日本人の気質」 とし、今までもあったように、律儀で実直。しかし、欠点もあり、この欠点は、 排他的 であるとする。この三河人が江戸幕府を築いたため、確かに、鎖国(海外との貿易禁止)、キリスト教は禁止(禁教令、<ー>信長はキリスト教を受け入れた)・・・、と排他的。この排他的であり、またこれに加え、家臣の領地に関しても、あえてわずかしか与えず、その方が家臣の結束があるとした。 このようなさまざまなことを行うことで、約260年もの間の江戸時代、天下安泰であった。 これも三河かたぎから来るもので、唯物史観ではなく、人間史観ともいうべき、人間中心で歴史を捉えた。 【本】 ・ 司馬遼太郎「覇王の家」(上) (←PR:Amazonリンク) ・ 司馬遼太郎「覇王の家」(下) (←PR:Amazonリンク) ・ NHKテキスト (←PR:Amazonリンク) 関連記事 ・ 司馬遼太郎「覇王の家」その3 (2024年1月29日公開) ・ 司馬遼太郎「覇王の家」その2 (2024年1月28日公開) ・ 司馬遼太郎「覇王の家」その1 (2024年1月28日公開)